小型SPを鳴らす

最近小型SPを鳴らすのに快感を覚えている。何と云っても小型SPで大型並の音を出せば拍手喝采だ。逆に大型を導入して鳴らせなければ、日々憂鬱、メシも不味いし、仕事も手に着かない。
いい音って何だ、というと百も二百も理屈っぽい定義がなされそうだ。が、小型を大型のように鳴らす、というと連想する音がそれほど違わないらしい。

商売柄、ときどき試聴会じみたことをやる。何人か集まって貰って、衆人注目の前で、チマチマした音から少しずつチューニングして、スケールを大きくしていくと、殆ど異論は出ないものだ。
JAZZファンを相手ならテナーサックスが図太く朗々と鳴り響き、ウッドベースがビッグトーンで、そう、あたかもレイブラウンの様に鳴り出すと拍手である。
クラシックならまずチェロが朗々と唄うようにならないと、その先どうにもならない。そしてピアノの左手領域が何処までも制限無く延びきって出てくると、部屋中にそのスケール感が満ち満ちてくる。
声楽なら声量豊かに、苦しげでなく楽々とストレス無く声が出てくるような鳴り方。それが漫然と描く「大型SPのような音」なのかもしれない。

ところが実はこれ、そう簡単ではない。
実際、大型SPを所有したからといって、買った次の日から4000ccの車のような乗り心地になるほど、オーディオの道は甘くない。 素人目にも大口径スピーカは低音が出るように見えるし、値段も高いし立派そうにもみえる。5ナンバーの車より3ナンバーの方が高級に思えるような心理かもしれない。長年オーディオジャーナリズムで表現されてきた大型SPへ賞賛は凄かった。
風のような、足下を揺るがすような、部屋の空気が揺らぐような・・・、数限りない低音の魅力を彩る形容詞。
先般亡くなられた、オーディオ界の大先達、故池田圭さんは、「低音は音楽のエロティシズムだ」と喝破された。もうこういう形容をされたら誰だって大型が欲しくなるのは当然である。

かくして、いにしえのオーディオマニアは38センチ口径の大型スピーカーに憧れ、無理をしてでも手に入れたものだ。しかし、通常これが仲々上手く鳴らない。ウーハー、スコーカー、ツイータが一体となって鳴り響いてくれないのだ。ジャズを聴けばベースがブンとウーハーから出て、サックスが中音ホーンからカーッと出て、カチコチンとツイータがシンバルを鳴らす。バラバラ。
凄いぞ、と言われるお宅ですら、殆ど全部が全部、ハイパワーアンプを使って、力でねじ伏せたような音だった。いや、実をいうと僕もそういう時代がかなり長かったのだ。今思うと恥ずかしいし、もう戻れない。

しかし今、オーディオ界では小型SPに人気がある。もちろん住宅事情もあるが、大雑把な音から、より緻密な音質をオーディオファンの耳が求めだした、ともいえるのではないだろうか。
大型SPをチグハグにしか鳴らせなければ、これはもう腕が悪いとしかいわれない。

一般に大型SPは鳴らすのが難しい。確かに、日本の住宅事情では、部屋の影響も受けやすく、難しい面もある。しかし最近、どうもそれだけでは無いような気がしてきた。大型SPを鳴らせない人は、実は小型SPも鳴らせないのではないのか、と。
逆に小型SPを立派に鳴らせる人は、大型でも鳴らす。
鳴らせる人と鳴らせない人の、この違いはなにか・・。

オーディオ装置からいい音を出す秘訣。
1,音の判断をできる耳を育てること。
2,適切なテクニックを身につけること。
3,不適切な、或いは適切なセッティングをしたときの、原因と音の関係を身につけること
この3点を押さえないまま、流行のチューニンググッズに走ると、変化はするけど進歩もせず、確実に迷路に入る。

では具体的にどうすればいいのか?
弱ったぞ。それは自転車の乗り方を口で教えなさい、といわれているようで、これはもう実演しかないかな。
(いずれ公開でチューンニングのコツを実演しようと思います。)