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音の奥行感とオーディオの性能

オーディオマニアなる人種はオジサンばかしかと思っていたら、最近は僕の所に若きサラリーマンや学生さん達までが問い合わせをしてくる。
音の不思議な魔力に引き寄せられた若者が、一気にオーディオの世界にのめり込んでくる。吸い取り紙のように、僕のため込んだ知識を吸収してくれる。遠慮無くどんどん奪い取ってくれ!まあその分、僕は彼らの若い情熱を貰うけれど。

でもオヤオヤと思うこともある。
彼ら、不幸にも?モノラルを知らない、体験していない。
最近、「現代の」ステレオ装置は水平方向の定位だけでなく、奥行きの表現も出来るようになったのだ・・・と理解されている若い方に遭遇した。
僕はこの「現代の」にひっかかった。
確かに近代オーディオ機器の魅力は深々とした音場空間表現が魅力ではある。
それでは古代の、とは云わないけど、古いステレオ録音は空間表現が出来ていなかったと云わんばかりに思えてしまった。
そこで技術的な意味合いを原点に戻り探ってみることにした。

まず奥行き感には元々ステレオでなくて、遙か昔のモノラル方式でも表現できる原理があるということだ。加えて、オーディオ的にも「奥深い」意味がある。
そこで、今回は「奥行感」、関連語として「前後感」をテーマをとして書いてみよう。

まず原点に戻り、現在主流の2チャンネルステレオで、録音サイドで任意に定位を決められる要素は何か?を確認しよう。
実はこれ、水平方向、左右のスピーカ間に於ける定位だけなのである。
左右の間に決める定位は、スピーカーの開き角度を60度、つまり正三角形の頂点で聴くという約束事の中だと、角度で決められる。
スピーカーの開き角度が60度でない場合は、左右の開き角度に対する割合(%表示など)として表現できる。
簡単な話、モノラル音源をミキサー卓のパンポットのボリュームツマミで任意に決められるし、そのとおりが再生出来る。POPSのボーカルが、誰の家の装置でも殆どド真ん中に定位しているのは録音サイドで「そのように作っている」からだ。
録音製作サイドが意識すれば、誰の家の装置でも中心から15度左に定位、なんてことも出来る。二者のデュオをセンターの左右に振り分けて定位もさせられる。
以上のことを再現するには、左右のSP(およびアンプなどの伝送系)の特性が揃っていること。それが前提であるが。

さて次に本題である奥行感の問題。
こちらは左右水平方向の定位と違って、右のスピーカーの奥50センチの所に定位させよう、なんていう決め方は録音側でも再生側でもできない。角度とか距離のような「数字で表わせる決め方」ができない、ということである。
しかし複数楽器相互の、「相対的な前後位置関係」は可能である。

ステレオマイクと音源の距離関係を考えれば、レベル差、位相差、時間差の3要素から、原理としては奥行き情報も存在する。しかし、左右水平方向の定位のうような正確な表現能力には劣る。
言い換えれば、左右方向定位を決める情報は10万円以下のステレオセットであっても、録音再度の意図がほぼ正確に伝わるが、奥行き方向の情報は、機器の質に左右され、セット毎にちがった表現がなされてしまう。録音系の質でも左右はされる。

ところで奥行感、或いは前後感というのを、僕ら人間の感覚はどうやって認識しているのだろう。脳の中の動作解説は、僕もこの目で見たことがないからできない。けれど、どうやれば前後感を人の耳、あるいは意識に認識させられるか、錯覚させられるか、という逆のアプローチで考えると分かりやすい。
近くの音を遠方の音のように聴かせる・・・・には、間接音を加え、高域を適度に減衰させ音量を小さい方に調整すればいい。(ちょっと大雑把だけど) つまり、直接音と間接音の構成比は、僕らの耳が前後感を認識するのに重要な影響を与えているのである。複数音源のときは遠くに聴かせたい音にちょいと遅延をかけたりすればいい。
鮮度の高い直接音が主体だと前方にあると認識し、間接音成分が多く、音のエッジが鈍ってくると、これは遠くの音と認識する。

今度は逆に、この理屈を再生装置の評価に適用してみよう。
奥行感の出ない装置・・・・・。
これは微少な残響音が出ない装置は確実にそうなる。
さらに音の立ち上がり(応答速度)が遅いと、前後感が出なくなる。これは
近くにある先鋭度の高い音が、遠くにある音と同様のナマッた音になってしまえば、距離差を感じさせる要素がが減少するからだ。
実感出来る例として、近代ハイエンド機器で揃えた装置の中に、タフピッチ銅のような安物ケーブルを投入してみるとよい。すると途端に前後感が無いベタっとした音になり、空間を感じさせる残響音も激減するから、酷いときには昔の3点定位録音のようになってしまう。

次に音像の問題。
現代オーディオ機器で組んだオーディオ装置は不用意にセットすると、音像の全部が引っ込でしまうことがある。この原因は前述したとおりだけど、ことに楽音のエネルギーの大半を受け持つウーハー帯域の音に関して反応が鈍い場合、間違いなく主役たるソロ楽器まで後に引っ込んでしまう。音楽を聴いていて主旋律が浮かび上がらないような時は、一度セッティングなり構成機器の性能を見直した方がよい。

こういう奥に引っ込んだ音を毛嫌いするオーディオファンは、特にjazzファンに多い。
しかし逆に、そういう方のお部屋に伺うと、微かにビリついている音響レンズ付のホーンとか、左右両SPの間にアンプ棚などを、不用意に置いていらっしゃることが多い。
本来の再生音以外に、機器の共振や反射などの少々汚い二次音源から出る乱暴な音をきちんとコントロール出来ていない装置では、妙に音が前に張り出してくる。
引っ込んだ音を前に出す方法として、両SP間の壁を反射性にしたり、物を置いたりする手法もあるが、これもはっきり言って邪道である。

再生装置の立ち上がりエッジがしっかり出れば、本来前方に定位する音像は、きちんと「立体的な塑像が見えるように」前方に定位するものである。

以上を認識してステレオ装置を眺めると・・・。
*左右SP間にぎっしり音が埋まらず空間感が少なければ、微細な残響成分再生能力の不足。
*音像が引っ込んで立体的に浮かばず、前後感が無いのは立ち上がり成分の再生能力不足。
・・・・ということになる。

ここで触れなかった問題も多々ある。たとえばスピーカー形状の問題。さらに逆相成分も含めた空間感や定位などの問題に触れると、これまた奥深いオーディオの録音再生の原理に触れることになって、とても書ききれない。で、今回まずは奥行感、前後感の表現に密接な関わりを持つ基本性能というところに注目してみた。

ちなみに、世に音場派だとか音像派だとか称する人々や、機器類が登場しているが、それは本来両立すべき事柄だとボクは思っている。