オーディオは、自らの中で鳴る音楽を目の前に出そうとする行為だ。
内で鳴り響く音と、目の前で鳴る音との差異が大きいということは、感覚の鋭い人種にとって耐え切れない状況なのだ。
オーディオの装置はケーブル1本変えても音が変わる。
変わった変わったとはしゃいでいる内は可愛い。そのうち、あちこち変えて収拾がつかなくなる例のなんと多いことか。
細部に気を取られ、全体のバランスが崩れてしまうことが、オーディオでは日常的に起きる。とにかく音楽を気持ちよく聴くには、エネルギーのバランスが必要だ。
これを崩すと、あいつは音楽を知らない、と必ず陰口叩かれる。
だが、しかし・・・・。
ときには細部に拘って気づいた音の中に、魂が宿っていることもある。これを見逃すと、「その先」は無い。
で、その「宿っている魂」を見つけたと確信したときは、誰がなんと言おうが、なりふり構わず細部を徹底追及する姿勢も必要なのである。
なぜ細部を馬鹿にしてはいけないのか。
全体としての音楽的バランス感覚を最優先すると、装置の中の一番低いクオリティの機器に寄り添うような形になりやすいからだ。
古い装置に不用意に最新鋭の機器を入れると、何とも奇妙な音になることをベテラン諸氏はご存じでしょう。CDのデビュー当時、アナログ的旧主派の中に、CDの情報量を適度にナマらせることでバランスをとった人がなんと多かったことか。情報を捨てて、ナローと云われようがボケと言われようが、楽音を知っている常識的な人ほど、ピラミッド的な落ち着いた音を求めた。
しかし、音に関して感覚の鋭い連中は、当時からバランスが崩れようが何しようが、その先にある、装置全体のグレードが格段に上がった時の音を心の中で密かに鳴らしていた。彼らは今もまだ心の中で鳴らしているだけで、完全に全部を鳴らしていないかもしれない。
だが、クリエーターがいつもそうであるように、現実より先に、できあがった時のイメージが自分の中に出来ていれば、なにも怖くない。
先を目指して進めばよいのである。
そうやって、感覚の鋭い連中の力で、オーディオは進歩してきたのである。
細部にこだわりすぎて全体のバランスが崩れた時は、苦しい。
「その先の光明」を見つけた喜びで友人に聴かせたりすると、バランスの悪さを指摘され、がっくり落ち込む。
アイツにはその先の音が分からないだけだ、と内心思う。
今に驚くぞ、と敗者復活を賭けてさらに励む。
時には次なるステップへの革命として、装置を全部をひっくり返すようなことさえもあるのだ。
僕はこの数年、実は自分の装置をひっくり返してきた。
不注意で機器を壊してしまったこともある。仕上げまで、まだ1年以上はかかろう。
大変なパワーが消耗させられる。
自分のスタイルを確立するためのエネルギーともいえるし、オーディオにおける自説を、音で証明するために必要なエネルギーともいえる。
イルンゴというブランドを立ち上げた以上、何が何でも、トータルで完成された音を僕は聴いて貰いたい。
一生の中で、何度、こういうことができるのだろう。
オーディオ界では殆どの先人が1回で終わっているようだ。
アナログ時代にスタイルを完成して、以後そのまま、ついにCDに触れずにいる人。
コンクリートホーンのスピーカと寝食を共にして、ホーンの中で暮らした人。
JBLやタンノイに惚れ抜いて、これを使いこなすことに一生を捧げた人。
・・・・・・・
人、それぞれである。
現在の平穏。
そのバランスをいったん崩しても、さらなる何かを生み出したいという気力。
この気力は、「その先で聴こえている音」が魅力的で有ればあるほど、沸いてくるものなのである。
この頁を読んでいる貴方、「その先の音」、聴こえていますか?